2006年 12月 09日
美しい日本語 |
しばらく前のニュースで、小学校からの英語教育義務化について、伊吹文部科学相が「外国語を学習するよりも美しい日本語を習得する方が大事。故に義務化不要。」といった趣旨の発言をしていたのを見た。一見もっともな主張だが、ビジネスがグローバルになり英語が事実上のスタンダードとなっている以上、世界における日本の競争力を高めるという国家目的のためには英語教育の強化は不可欠だ。それに、英語教育をすることで日本語の理解の妨げになるとは言い切れず、英語を学ぶことで逆に日本語の美しさや特徴を認識することもある。
僕は国民全員に等しく英語教育を施すことは必ずしも必要とは思わないものの、英語を習得したいと思う人々(または習得する必要のある人々)に対しては少なくとも実戦で使えるレベルの教育をするべきだと思う。「話す」「聞く」という観点の抜け落ちた従来の英語教育では、難しい文章は読めても英語でコミュニケーションは取れないといういびつな人間を育ててしまうからだ。その観点からすると、文部科学相という立場の人間が、仮に英語嫌いだったり海外経験がなかったりすると、「英語教育不要」の方向にバイアスがかかってしまうだろう。(逆に、海外経験が長すぎるとそれはそれでバイアスがかかってしまうが)
一方で、伊吹さんの言うとおり美しい日本語を使うことも非常に大切である。いつの時代も「最近日本語が乱れている」と言われ続けている気がするが、確かに僕自身も、日本語が乱れている人が最近増えていると感じる。「まず最初に」(まず、と最初に、は全く同じ意味なので両者を重ねて使うのは間違い)と言ったり、自分の母親を「お母さん」と呼んだり(正しくは「母」)、雰囲気を「ふいんき」と読んだり。きっと、昔であれば年配の方が都度言葉の誤りを正してくれたのだろうが、今ではそれも少なくなっているのだろう。
法務部という一語一句に気を配る仕事に従事していたお陰で、常に広辞苑で調べる癖もついたし、先輩から正しい日本語の使い方の指導を受けてきた。そのため、自分自身は比較的正しい日本語が使えている方だと思うが、だからこそ間違った日本語を使っている若者達に、正しい日本語を教えてあげないといけない。しばらく前に、ある若者に「山崎さんのカミサン元気っすか?」と言われ、「目上の人の配偶者を指す場合は奥様だろう!」と思いながらも言わなかった記憶がある。今後はそのような場面に遭遇したら、ちゃんと指摘しよう。
僕は国民全員に等しく英語教育を施すことは必ずしも必要とは思わないものの、英語を習得したいと思う人々(または習得する必要のある人々)に対しては少なくとも実戦で使えるレベルの教育をするべきだと思う。「話す」「聞く」という観点の抜け落ちた従来の英語教育では、難しい文章は読めても英語でコミュニケーションは取れないといういびつな人間を育ててしまうからだ。その観点からすると、文部科学相という立場の人間が、仮に英語嫌いだったり海外経験がなかったりすると、「英語教育不要」の方向にバイアスがかかってしまうだろう。(逆に、海外経験が長すぎるとそれはそれでバイアスがかかってしまうが)
一方で、伊吹さんの言うとおり美しい日本語を使うことも非常に大切である。いつの時代も「最近日本語が乱れている」と言われ続けている気がするが、確かに僕自身も、日本語が乱れている人が最近増えていると感じる。「まず最初に」(まず、と最初に、は全く同じ意味なので両者を重ねて使うのは間違い)と言ったり、自分の母親を「お母さん」と呼んだり(正しくは「母」)、雰囲気を「ふいんき」と読んだり。きっと、昔であれば年配の方が都度言葉の誤りを正してくれたのだろうが、今ではそれも少なくなっているのだろう。
法務部という一語一句に気を配る仕事に従事していたお陰で、常に広辞苑で調べる癖もついたし、先輩から正しい日本語の使い方の指導を受けてきた。そのため、自分自身は比較的正しい日本語が使えている方だと思うが、だからこそ間違った日本語を使っている若者達に、正しい日本語を教えてあげないといけない。しばらく前に、ある若者に「山崎さんのカミサン元気っすか?」と言われ、「目上の人の配偶者を指す場合は奥様だろう!」と思いながらも言わなかった記憶がある。今後はそのような場面に遭遇したら、ちゃんと指摘しよう。
by mellon2007
| 2006-12-09 04:56
| 思ったこと