2005年 09月 07日
海外ビジネススクールで学ぶ意味 |
今日二限目は、Managing Organization Class、一番ディスカッションが白熱する授業だ。毎回ケースを題材に、ケースの主人公がどのように所属する組織を管理し、活用し、問題を解決していくか(していくべきか)、を学ぶ。授業の最後にその主人公が実際にとったアクションについて学ぶが、それが必ずしも最適解とは限らない。授業中にもっと素晴らしいアイディアが生まれる場合もある。80人近い学生が座る教室では、絶えず手が上がり続け、教授は指揮者のように学生の意見を促し、まとめ、議論を深める。
今回は特に複雑なケースだったこともあり、僕は相当準備して授業に挑んだ。議論が白熱し、次々と意見が出る。入念に準備したこともあり、ちゃんと議論についていくことができた。授業中の発言も成績の一部になるので、とにもかくにも発言をしなければ、と思ってはいるのだけれど、結局一度も発言できなかった。もちろん、80人の中で発言したのは30人程度なので、必ずしも皆が発言するわけではないけれど、黙って座っているだけではダメだ。次はなんとしても発言しなければ、と思うのだけれど、改めて、それは一般的な日本人にとって相当難しいな、と思った。
一つ目の理由は、一般的な日本人はそもそも議論することに慣れていないこと。学生時代を思い出しても、○か×かの問題に答えることはあっても、自分自身の意見をクラスで述べ、皆とディスカッションした記憶なんてほとんどない。会社でも、下っ端が自由に意見を述べる場なんてあまりなかったように思う。そのため、80人を前に発言すること自体、相当難しい。
二つ目の理由は、やはり英語で発言することは相当難しいこと。もちろん、言葉を重ねることで何とか意味を伝えることはできる。しかし、クラスでのディスカッションの場、如何に質の高い発言をするかで皆しのぎを削っている場では、意図していることを伝えること自体に不自由があると、本当に厳しい。(ちなみに、僕はTOEIC 965点、TOEFL277点(647点)と、数値上は十分だが、驚くほど英語がしゃべれない。英語をしゃべることを教えない日本の教育の下、とことん鍛えたらきっと僕みたいになるのだろう。)
海外ビジネススクールの授業で発言するということは、とりもなおさず、これら二つのハードルをまとめて一気に超えなければならないということだ。
それを考えると、慶応ビジネススクールのように、全て日本語で学ぶビジネススクールもよい選択だな、と思う。ファイナンスやマーケティング等、学ぶ内容自体は日本のビジネススクールも海外のビジネススクールも大差ない。それであれば、母国語で学び母国語で議論することで、ディスカッション能力を鍛え、且つ遙かに「深く」学ぶことが出来る。加えて、海外ビジネススクールで学ぶにはとにかくお金がかかる。渡航費等を考慮すると、日本のビジネススクールで学ぶ費用の3倍以上かかるのではないだろうか。従い、日本のビジネススクールの方が費用対効果で遙かに上だ、という意見ももっともだと思う。
しかし、それでも、僕は海外ビジネススクールで学ぶことの方が意味があると思う。海外ビジネススクールで学ぶには、単身で慣れない国に飛び込み、言葉に不自由しながらも、他のネイティブの学生と同じ土俵で戦わなくてはならない。留学生だからといって、基本的に扱いは変わらない。精神的な孤独感、言葉が不自由なことによるストレス等、同じ土俵で戦うには圧倒的に不利な状況だ。それにもかかわらず、それを乗り越え、他のネイティブの学生と互角に戦えるようになれば、日本で学ぶよりも、段違いに成長できることだろう。
問題は、そのような成長が出来るかどうかだ。海外のビジネススクールに行ったはいいけど、結局引きこもりがちで英語でろくに議論もできず、英語で学んだため各科目の理解も浅く、ただ2年なんちゃって留学で海外にいって戻ってきました、というのであれば高い金を払って海外に行かす意味はない。
僕は企業派遣で留学している。会社は僕に多大な投資をしている。二年後、日本に戻った際に、皆から「相当費用はかかったけれど、海外のビジネススクールに行かせて正解だった」と思われるように、劇的な成長をしなけれならない。改めて、そう思った。
今回は特に複雑なケースだったこともあり、僕は相当準備して授業に挑んだ。議論が白熱し、次々と意見が出る。入念に準備したこともあり、ちゃんと議論についていくことができた。授業中の発言も成績の一部になるので、とにもかくにも発言をしなければ、と思ってはいるのだけれど、結局一度も発言できなかった。もちろん、80人の中で発言したのは30人程度なので、必ずしも皆が発言するわけではないけれど、黙って座っているだけではダメだ。次はなんとしても発言しなければ、と思うのだけれど、改めて、それは一般的な日本人にとって相当難しいな、と思った。
一つ目の理由は、一般的な日本人はそもそも議論することに慣れていないこと。学生時代を思い出しても、○か×かの問題に答えることはあっても、自分自身の意見をクラスで述べ、皆とディスカッションした記憶なんてほとんどない。会社でも、下っ端が自由に意見を述べる場なんてあまりなかったように思う。そのため、80人を前に発言すること自体、相当難しい。
二つ目の理由は、やはり英語で発言することは相当難しいこと。もちろん、言葉を重ねることで何とか意味を伝えることはできる。しかし、クラスでのディスカッションの場、如何に質の高い発言をするかで皆しのぎを削っている場では、意図していることを伝えること自体に不自由があると、本当に厳しい。(ちなみに、僕はTOEIC 965点、TOEFL277点(647点)と、数値上は十分だが、驚くほど英語がしゃべれない。英語をしゃべることを教えない日本の教育の下、とことん鍛えたらきっと僕みたいになるのだろう。)
海外ビジネススクールの授業で発言するということは、とりもなおさず、これら二つのハードルをまとめて一気に超えなければならないということだ。
それを考えると、慶応ビジネススクールのように、全て日本語で学ぶビジネススクールもよい選択だな、と思う。ファイナンスやマーケティング等、学ぶ内容自体は日本のビジネススクールも海外のビジネススクールも大差ない。それであれば、母国語で学び母国語で議論することで、ディスカッション能力を鍛え、且つ遙かに「深く」学ぶことが出来る。加えて、海外ビジネススクールで学ぶにはとにかくお金がかかる。渡航費等を考慮すると、日本のビジネススクールで学ぶ費用の3倍以上かかるのではないだろうか。従い、日本のビジネススクールの方が費用対効果で遙かに上だ、という意見ももっともだと思う。
しかし、それでも、僕は海外ビジネススクールで学ぶことの方が意味があると思う。海外ビジネススクールで学ぶには、単身で慣れない国に飛び込み、言葉に不自由しながらも、他のネイティブの学生と同じ土俵で戦わなくてはならない。留学生だからといって、基本的に扱いは変わらない。精神的な孤独感、言葉が不自由なことによるストレス等、同じ土俵で戦うには圧倒的に不利な状況だ。それにもかかわらず、それを乗り越え、他のネイティブの学生と互角に戦えるようになれば、日本で学ぶよりも、段違いに成長できることだろう。
問題は、そのような成長が出来るかどうかだ。海外のビジネススクールに行ったはいいけど、結局引きこもりがちで英語でろくに議論もできず、英語で学んだため各科目の理解も浅く、ただ2年なんちゃって留学で海外にいって戻ってきました、というのであれば高い金を払って海外に行かす意味はない。
僕は企業派遣で留学している。会社は僕に多大な投資をしている。二年後、日本に戻った際に、皆から「相当費用はかかったけれど、海外のビジネススクールに行かせて正解だった」と思われるように、劇的な成長をしなけれならない。改めて、そう思った。
by mellon2007
| 2005-09-07 03:15
| 学校生活